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五代将軍綱吉の時代 |
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四代将軍家綱は病弱で、子供もいなかったため、当時の大老である酒井忠清は京都から新しい将軍を迎えようとした
大老の意見に誰も逆らえなかったが、若年寄の堀田正俊だけが反対し、綱吉を新将軍にと提案
そして堀田正俊は危篤の家綱に「新しい将軍は綱吉様でいいですか?」と聞いた
家綱は「さようせい」と答え、正俊はすぐさま綱吉のもとへ
綱吉の家老である牧野成貞は、突然の訪問に驚き何事か?とひっきりなしに訪ねた
すると正俊は、「吉事でござるぞ」と告げ、すぐさま綱吉を家綱の養子にさせた
慌ててやってきた大老・酒井忠清でしたが、時すでに遅し
綱吉は新将軍となった
堀田正俊に出し抜かれた酒井忠清は隠居することに
こうして綱吉は五代将軍となったのである
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生母・桂昌院 |
綱吉の母
家光の側室・お玉であります
長男が死に、次男が死に、三男である我が子・綱吉が将軍になり大喜び
将軍生母の座にすわり、大奥において権力を握りまくっていました
綱吉はかなりのマザコン
桂昌院は、信じている寺の僧に「綱吉が子供生まれないのはナゼかしら?」と聞くと、寺の僧は「綱吉様が前世において殺生をしていたからです。綱吉様は戌年なので、犬を大事にしなさい」と言った
これにより、日本史上最悪の法律「生類憐みの令」ができるのであります
が、綱吉は子宝に恵まれず終わった
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御台所・信子 |
信子は京都の鷹司右大臣教平の娘で、13歳の時に綱吉(18歳)と結婚
正室とはいえ形だけで、夫婦仲は良くなかった
生涯1人の子も生まれませんでした
身分の卑しい側室・お伝の方が大奥において権力を握っているのがイヤだったらしく、対抗するためにと、見目麗しく優秀な常盤井という京都の女性を連れてくることとなる
綱吉が死んだあとすぐに信子も死去
そのため、信子が綱吉を毒殺したのではないかという説もある
何はともあれ、寂しく過ごす一生となった
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権力NO1 側室・お伝の方 |
お伝の方の父は御家人にさえなれない下級武士だった
本当かどうかは定かではないが、四代将軍家綱の生母・お楽の方の母の妹の娘とも言われている
2人の出会いも定かではないが、ある時綱吉が山を歩いていると、とある侍女が火種を落としてしまい、みるみるうちに炎が燃え始めた
みなオロオロするだけだったが、お伝の方は着ていた着物をさっと脱ぎ、炎を打ち消したという
この機転に感心し、綱吉の側室となったと言われている
また、桂昌院の侍女であったため、桂昌院・お伝の方チームVS正室信子チームができあがる
綱吉の子を生んだのはお伝の方だけ
長男の徳松と、長女の鶴姫
他の側室は流産したりと、誰一人出産しなかった
そのためお伝の方の権力はすごいものだった
が、長男徳松は5歳で死んでしまったため、将軍生母の夢は崩れ去ってしまった
80歳で死去
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学識NO1 側室 常盤井(右衛門佐)
ときわい |
お伝の方の勢力が高まるにつれ、おもしろくないのが正室の信子
「なんであんな身分の卑しい子が偉そうにしてるの?許せない!」と、お伝の方に対抗するために京都から呼び寄せたのが常盤井
美人で才知溢れた常盤井は、大奥にくるとメキメキと頭角を現した
また、綱吉は学問好きだったため、常盤井の学識に感心し、すぐさま寵愛した
お伝の方は「学」がないので、かなり悔しがったという
が、プライドが高く、その他大勢の側室の1人になることを拒んだ
そのため、大奥総取締りとなった
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大典介の局 |
大奥取締役に抜擢された常盤井
この常盤井が大奥にいらっしゃいと推薦したのが大典介
大典介は綱吉の晩年の側室として寵愛を受けまくることとなる
が、子供ができず、姪の「竹姫」を綱吉の養女にさせることに
竹姫を養女にする際に、柳沢吉保が動きまくった
側室の一族を養女に迎えるなど、江戸時代を通じて例をみない
いかに綱吉が大典介を大事にしていたかがわかるエピソードである
また、他説では常盤井の学識に惹かれた綱吉にムカついていたお伝の方や桂昌院
それに負けじと、京都からこちらも学識高く才色兼備で有名だった大典介の局を呼び寄せた
こうして大奥内では、競うように綱吉に学問を勧めまくったのです
実はこの人、いまいち謎で、正室信子が江戸に来る時にすでにお供として来ていたとも言われています
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側室 阿久里
あぐり・おくり |
綱吉の寵臣・牧野成貞の15歳年下妻である阿久里は、もともと桂昌院つきの侍女だった
桂昌院は賢い阿久里を可愛がり、忠臣である牧野成貞と結婚させたが、どうやら綱吉は阿久里に憧れていたらしい
阿久里は大奥に出入りしているうちに、綱吉のお手付きになってしまったらしい
元々、家臣の妻に手を出すという癖があった綱吉は、手をつけたとあらばただちに阿久里を大奥へ招きいれ側室とした
妻を取られた牧野成貞は悲しんだが、その後驚異的な出世をする
そのため「牧野は出世と引き換えに妻を差し出した」と言われるようになるが、実際は綱吉が無理やり略奪したのであります
阿久里は寵愛を受けたが、綱吉の寵愛をいいことに権力を握るということは一切しなかった
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側室 安
やす |
牧野成貞と阿久里には3人の娘がいた
長女は19歳で死んでしまい、侍女の安が婿(牧野成時)をとっていました
が、この安も将軍綱吉の悪癖により犯されてしまう
安は夫と離婚させられ、大奥に入れられることとなった
そのため婿である成時は自害してしまったのであります
父である牧野成貞は娘までもが・・・と、悲観にくれた
桂昌院は「養子を取りなさい」と養子縁組を勧めたが、成貞は一切拒否した
そして成貞の代わりに出世してきた柳沢吉保が「表」の権力を握り、その権威は絶大なものとなっていく
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側室 染子 |
染子には3種類の説がある
一つは寵臣・柳沢吉保の家に遊びに行った綱吉が、染子に目をつけ手を出したという説
綱吉は58回も柳沢吉保の家に遊びに行っているため、このような説が生まれた
もう一説は綱吉が将軍になる前のこと
綱吉に子供がいないのを心配した家臣たちは、自分達の娘を美しく着飾って綱吉の目に留まるようにしようということになった
吉保の妻・染子は美女だったので、綱吉が出かけた際にお茶を染子に出させた
綱吉は染子の美しさに引かれ、手をつけた
もう一説は六代将軍家宣の正室・熙子が江戸にやってきた際に、お供としてついてきたのが染子
美女だったので、手をつけたが、妊娠してしまった
綱吉はちょっとまずいなと思ったらしく、吉保に譲ったといわれている
ちなみに染子は「吉里」という男児を産み、将軍のご落胤か?と騒がれることとなる
以上、色んな説のある染子でした
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